皆さん、こんにちは!
アスジャ生ブログ「アスジャ生の日々の暮らしコーナー」のタマです。
前回のブログでは、日本の子どもたちとの出会いと印象について語りました。子どもたちに実際に出会うたびにいろいろ考えさせられ、彼らからたくさん学びました。
今回は引き続き、アスジャの小学校訪問事業及び地方産業体験事業で出会った子どもたちとのエピソードをご紹介したいと思います。
前回のブログでご覧になった方もいらっしゃると思いますが、アスジャ事業では「国際理解教育のための学校訪問」という事業があります。その事業では、アスジャ生が毎年日本の小学校を訪問し、小学生と交流するチャンスがあります。私はアスジャ生として2016年度の事業に参加しました。
その時は、小学生たちと一緒に料理を作ったり食べたりして、日本とアセアンの文化について紹介し合いました。小学生と料理をした時、彼らの整理・整頓スキルと、食事マナーに感銘を受けました。食器の片付け、雑巾の使いわけ、食材の成分の説明までスイスイとやっていることを見て、日本の小学校での食育に興味を持ちました。
小学校訪問当日にアスジャ生が作ったメニュー
小学生たちは自分の準備作業が終わった後、アスジャ生の各グループに入って、お姉さんお兄さんたちの手伝いをしてくれました。アスジャ生のお姉さんとお兄さんの作業を見習いながら、野菜洗いや食器の取り出しなどしてくれました。簡単なタスクですが、大変真面目に確認し、自分のミッションを順調に果たしました。料理の盛り付けの時も見本をきちんと観察してからやってくれて、大変助かりました。
食事時間になったら、小学生たちはまた自分のタスクに忙しくなりました。食前の机の配置・運搬、食中の時間管理、そして食後の後片付けから掃除やゴミ分別まで、すべては彼らによって担当されたからです。ベトナムの小学校にも給食がありますが、やはり日本のように子どもが自らする作業はほとんどありません。また、何人かの子どもが当番の配り役をして、それ以外の子たちが自分で料理を取りに来るセルフサービス方式にも驚きました。その際、子どもたちが順番に、自分の好みと体調を考えて食べられる量を自分の食器に入れ、自分の席に持ち帰ってきました。
今回の食事では、アスジャ生も小学生のグループに入り込ませてもらいました。食べる前に、子どもたちが私たちに向かって「料理を作ってくれてありがとう」と言ってから、5カ国の料理を少しずつ食べ始めました。食事しながら、それぞれの料理の話で食卓の雰囲気が盛り上がりました。子どもたちはアスジャ生の母国のことについて積極的に聞いたり、「留学したい」、「英語を上手になりたい」など自分の将来の夢を楽しく語ったりしていました。
こうして、広い世界へ好奇心を持ってワクワクしている子どもの姿を見て、私も感激しながら、日本とアセアン諸国の友好関係や、ベトナムで流行している日本ブーム、ベトナムで活躍している日系企業についても話をしました。ホンダのバイク、キャノンのカメラ、「窓ぎわのトットちゃん」や「ドラえもん」は、ベトナムはもちろんアセアン各国でも大人気を博している話をしていたら、子どもたちの目がキラキラと輝いてきました。それに気づいた瞬間、タマも「心と心で繋げる文化交流ならば世代や国籍の壁が消えていく」という嬉しい気持ちになりました。
食事終了後、先生方に聞いたところ、日本の学校では家庭科という科目があり、この科目で、学生たちは衣食住や家族の生活などに関する実践的・体験的な活動を通して、日常生活に必要な基礎的な知識・技能を身につけることと、家庭生活への関心を高めることができるそうです。
当日の活動と先生方の話を通じて、「そうか。日本の子どもたちの自律精神は、空から落ちてきたものではないんだ。セルフサービス式食事や家庭科などを通して、子どもたちが幼いころから自分と周りの人の生活への気配り・気遣いを養っていくんだ」と、私が気づきました。
小学校訪問の後、もう一度日本の子どもたちに接触するチャンスがありました。それは、日本の地方を見学する「地方産業文化体験」というアスジャの活動に参加したときでした。私が参加した時の行き先では、東北地域が一番印象に残りました。
当時の「地方産業文化体験」では、東日本大震災(3.11)で甚大な被害を受けた宮城県を訪問する日程もありました。当日、現地の高校1年生の二人は引率の先生方や関係者の方と一緒に、アスジャ生たちに大津波に襲われた石巻市の現場を案内してくれました。
私たちが訪問した時点で、現地にはまだ処理できないほどのゴミの山がありました。その予想外の光景は、津波による被害の第一印象でした。その後、当時の津波の猛威を伝える代表場所を巡る「3・11 忘れないウォーキング」コースに参加し、思いの外の光景が次から次へと自分の目に入りました。直接体験した被災者ではないアスジャ生たちでも、怖くて身震いしてしまいました。
ところが、私が案内役の子どもに、「当時怖かったの?何をした?」と聞いたら、怖いという答えだけではありませんでした。怖かったようですが、お母さんと一緒にお母さんの職場である郵便局に行って、そこで可愛い絵葉書を飾り、自分より小さい子どもたちの面倒を見たという話を聞きました。彼女は当時まだ小学生でしたが、他人へのメンタルケアに力を尽くしたようです。
今でもまだトラウマが残っているかという質問に対して、まだあるのですが、それを抑えながら、地域復興のために頑張っている大人たちを手伝いたいという心境を聞かせてもらいました。それを聞いた瞬間、私の心の中には涙が止まりませんでした。
日本の子どもと交流後、日本の小学校教育についてもっともっと知りたくて調べたところ、日本の文部科学省のHPでは、初等中等教育分科会(第106回)の配布資料に「我が国における『学校』の現状」という内容が見つかりました。私は次の文章にひかれました。
学力面では,OECD・PISA調査等の各種国際調査を通じて世界トップレベルとなっているとともに,勤勉さ,礼儀正しさなど道徳面,人格面でも評価されてきた。このようなことから,「日本型学校教育」の海外展開が要望されるようになっている
<出典>
文部科学省(2018)「資料3-2 次世代の学校指導体制の在り方について
(最終まとめ)〈本文〉」、初等中等教育分科会(第106回)配布資料
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1379008.htm
(2020年10月26日アクセス)
それを受け、日本の子どものファンになった私はこの「海外展開」に、少しでもいいから自分なりに貢献したくなりました。それを契機に、自分が日本の子どもと直接に交流して気づいたことを、自分が著作する本に重要なテーマのひとつとして取り入れ、多くの人に日本の学校教育の良いことを発信すると決心しました。この本は、エッセイ集として自分が日本で出会った人々と物事の姿を伝えようとするもので、幸いなことに、2019年5月に無事に出版できました。読者からのフィードバックを読む際、日本の子どもをテーマにしたエピソードには、多くのベトナム人の読者が関心を持っていることがわかりました。
今回のアスジャ生ブログ「日々の暮らしコーナー」は、タマが日本の子どもたちと出会えて初めて気づいたお話でした。小さな子どもでも、子どもなりに考え、できることが様々ありますね。タマをはじめアスジャ生は、自分も子どもたちの自律精神を見習いたい気持ちになり、また、そのような子どもを育てた日本の教育を自国の人に強く伝えようとも思います。
このように、アスジャ国費留学生たちは、来日初日からアスジャ生として修了するまでの間、勉学だけでなく、さまざま体験や気づきで成長していきます。
次回のブログでは、今年の9月に行われたアスジャ修了式の様子をお届けしますが、アスジャ修了生の振り返りを通して、アスジャ生のその成長ぶりについてもご紹介します。どうぞご期待ください。