アスジャ・インターナショナル設立20周年記念事業冊子
「アスジャ修了生からのメッセージ」より

パン・ワンティ(フィリックス)さん
カンボジアカンボジア

2015年4月初めて日本に参り、最初日本語を勉強できるのはアスジャのお陰様です。「あ、い、う、え、お」しか理解していないわたくしはおそらく、他のアスジャ学生と同様日本で日本語が分からない、話さない「ゼロ」知識から勉強初めとは大変苦しいと思って、諦めたいと思った回数は数えきれなかったと思います。最初日本語が諦めない理由としてはアスジャのお陰でしょう。アスジャのホームスティにより、日本人をお父さん、お母さんを知り初め、温かく笑顔で、簡単な日本語も出来ない僕は迎えに来ることは一生を忘れなく存じます。このきっかけで、どうしても日本語を話せるように頑張って勉強して、今日本語話せるの僕になります。現在、日系企業で就職し、毎日周りの同僚は日本語しか話せない方々が多く、もっと日本で働くためには日本語もっと上手にならないといけないことを深く感じられます。五年間を振り返りすると、現在の僕日本で生活できるのはアスジャが日本語を強化していた原因だろうと思いました。

アスジャ卒業してからも3年経っています。社会人としての経験は3年もあり、学生時代より、日本はもっとも2番目の家と感じます。それは大人としての経験、苦しみ、さまざまな人生の経験はアスジャより与えられていると言われるでしょう。僕の人生は5分の1は日本です。そんな僕は現在4カ国経営日本企業に勤めて、日本にある本社とカンボジア、インドネシア、ミャンマー、ベトナムの子会社毎週やりとりして、東南アジア人の特徴を伝えながら、日本人の強さ(弱点)逆に現地(東南アジア)の社員に伝えます。おかしいと思っていますが、僕はカンボジアと日本小さい架け橋より、もっとも日本と東南アジアのタイニーな架け橋呼ばれると誇りを待ち大きな声を話せると思います。将来、このタイニーな架け橋にもっと大きく造って行くためには日本で東南アジアの国民一名として頑張らないといけないと思いながら、積み上がる時間や経験を両方に貢献したく存じます。

五年間で日本での思い出が多くがあり、その中忘れらない思い出はアスジャが第2ホームである存在です。アスジャのお陰様で、日本と東南アジアに関する活動、体験できるチャンスを与えらていただくことがありがたいです。日本語初め、各他の東南アジア文化、習慣などを身に付けて、現在、将来にもっとも鋭い武器にと信じられます。2つ目、ホームステイがもっとも日本人のリアルな生活体験できています。ただの日本で住んで、自分の習慣で生活出なく、5日間で自分の好き、嫌い関係なく日本人の実在の一日の生活を味わえることは心から感謝します。3つ目、日本の若い世代と交流ことでございます。若い世代交流とは「ワークショップ」で現代若者同士の考えたり、アイディアをぶつかりながら、日本と東南アジアに貢献できることが心より喜び生まれました。